目次
水と城の大垣市にそびえる
大垣城徹底解説
天下分け目の合戦、関ケ原の戦いにおいて大垣城は
重要な役割を担っています。石田三成が西軍の
本拠地を置いたところでも有名です。
城下町、大垣市の中心に位置し今なお市の顔として
存在し続ける大垣城を、実録徹底解説します。
アクセス
〒503-0887 岐阜県大垣市郭町2丁目52番地
TEL 0584‐74‐7875
駐車場情報・・上のグーグルマップ、拡大地図を
表示をクリック後検索欄に「大垣城天守付近の駐車場」
と入力して検索すると、候補がたくさん表示されます。
ひと手間おかけしますが、そちらを参照ください。
無料駐車場もあり・・普通車は無料
大垣公園まで徒歩約8分、普通車は無料で利用できます。
住所 〒503-0923 岐阜県大垣市船町2丁目22
普通車 無料 中型車・大型車 1,000円 (1台1回3時間以内)
営業時間 24時間 収容台数40台
大垣公園まで徒歩3分~5分 普通車は無料。
住所 〒503-0888 岐阜県大垣市丸の内2丁目46
普通車 無料 中型車・大型車 1,000円(1台1回3時間以内)
営業時間 24時間 収容台数 25台
ちなみに、今回は、下記駐車場を利用させていただきました。
ご紹介しておきます。天守から徒歩 2~3分程です。
入庫から最大12時間「500円」 20分「100円」
・道を挟んで両側にあり、20台~30台駐車可です。
最も近いパーキングの一つです。
無料駐車場が満車の時などに、利用されては、いかがでしょう。
住所 大垣市高砂町2-34
耳より情報
平成29年7月20日より、御城印(御朱印)が
いただけるようになりましたユネスコ無形文化遺産登録
として有名な『本美濃和紙』、職人さん手漉きの
『本美濃和紙』のステキな「御城印」です。
「御城印」「御朱印」ファンには、嬉しい情報です。
大垣城の御城印は、直書きではなく「書置きタイプ」です。
・料金 300円/1枚 ・大垣城の入り口(受付)にて販売
どちらも、嬉しいお知らせですね。
大垣城について
大垣城は、1500年(明応9年)に竹腰尚綱によって
築かれたとされる説と、1535年(天文4年)に
宮川安定が大尻に築かれたとされる説があります。
竹腰尚綱築城説は場所が現在のところとは違い、
揖斐川(牛屋川)東河岸にあった牛屋に築かれた
とされています。当時は牛屋城と呼ばれていたようです。
その後、1560年(永禄3年)に氏家直元が城主となり、
堀や土塁に手を加え、総囲いなどが整備されました。
その後、織田家の所領となり、1583年(天正11年)
に池田恒興が城主となります。 天守が築かれたのは、
伊藤祐盛の時代1596年(慶長元年)とされます。
さらに、1620年(元和6年)松平忠良により、
改築がなされました。
戦国時代が終焉した戸時代を通じて、譜代大名
「戸田家」が城主として地域を統治・統括しました。
1876年(明治9年)に旧城郭本丸は学校建設予定地となり、
その後大垣公園として整備されました。
1936年(昭和11年)には国宝に指定され、郷土博物館
として地域住民に親しまれる場所であった。
昭和20年の戦争・空襲によって焼失しました。
戦後の復興過程で、大垣城再建の声が多く集まり
昭和34年には、以前の姿の大垣城が再建されました。
加えて、2011年(平成23年)に天守と
乾隅櫓(いぬいすみやぐら)を戦災被害前の外観にする
改修が行われ、現在に至っています。
大垣城にかかわりの深い戦(いくさ)
「杭瀬川の戦い」
城内展示
1階
2階
武士や庶民の生活の様子がわかる展示コーナーがあります。
3階
3階はフリースペース(休憩コーナー)です。
4階
階段を進むと、最上階の展望室に到達します。ちょっとドキドキです。
展望室からの絶景をご覧ください。雪の伊吹山が間近に見られますね。
大垣城公園が見下ろせます。桜の季節には、咲き誇る桜も見られるでしょう。
遠くは、金華山の頂上に「岐阜城」が、かすかに望めます。
展望室の天井には、太鼓が吊り下げられています。
天守の周囲
大垣城の周囲には、他にもたくさんの見どころがあります。
鉄門跡・・鉄門は鵜沼宿(岐阜県各務原市)に移築されています。
麋城(びじょう)の滝・・麋城とは大垣城の別名
戸田氏鉄(うじかね)銅像・・氏鉄は大垣城の初代藩主です。
戸田氏「歴代大垣藩主」
初代(氏鉄) 第2代(氏信) 第3代(氏西)
第4代(氏定) 第5代(氏長) 第6代(氏英)
第7代(氏教) 第8代(氏庸) 第9代(氏正)
第10代(氏彬) 第11代(氏共)
おあむの松
関ケ原の合戦の際、西軍の本拠地となった大垣城内、
落城寸前に東軍から矢文が飛来し、おあむ一家に対し
「今なら無事に城から抜け出せるよう手配してあるから逃げよ」
との達しがあった。おあむの父は、東軍の大将「徳川家康」の
手習いの師匠を務めていたからである。
おあむ達は両親等4人程で、天守の西側にあった腰曲輪の
の木に縄をかけ、それを伝って内堀に降り、
たらいに乗って逃げたという。
この松の木が「おあむの松」です。城内の展示に
おあむの松物語の巻物があります。
城内にて書籍「おあむ物語」の販売もあります。
大河ドラマ2020「麒麟がくる」第6話・7話に大柿城として登場
大垣城が「大柿城」として、大河ドラマ
「麒麟がくる」第6話・7話に登場しました。
大柿城(大垣城)の戦い
天生17年(1548年)かつて織田信秀(信長の父)
に奪われた大柿城(大垣城)を奪還しようと、
斎藤道三率いる斎藤軍が進軍した。攻防の末、
道三は大柿城(大垣城)の奪還に成功。この結果、
織田信秀は、駿河・遠江の今川義元、美濃の斎藤道三、
一族である織田彦五郎という三者の敵に囲まれる
こととなった。(ドラマ上の設定)
ドラマ上の設定とはいえ、大垣城を参観した一人として
名前が登場したことは、とても嬉しく思います。
まとめ
「大垣城」はいかがでしたでしょうか。
近くには美しい日本庭園を備えた「郷土館」があります。
お城への入場券を購入すると、セット券として見学
することもできます。こちらもあわせて参観
されることをお勧めします。
大垣城は、江戸時代かなり広大でした。
本丸東は堀が4重にもおよび内堀の幅が24m~36m、
深さが2.7m~4.5mと伝えられています。
明治時代以降に徐々に埋め立てられていったようです。
当時の面影をしのびつつ大垣城へ行かれてはいかがでしょう。
続日本の百名城に選定された、
西美濃の名城「大垣城」・・・おすすめです。
スナフキンの名言集より By トーベ・ヤンソン
「ぼくは、流れ流れて、あっちに泊りこっちに泊り、なのさ」
答えながらスナフキンは、コーヒー鍋を
キャンプの火にかけました。
「今日は、たまたま、ここに居て、
明日はまた別なところにいる。
気の向くままにさすらって、
楽しめそうな場所が見つかったら、
テントを張って、張りおえたら、ハーモニカを吹くんだ」
(ムーミントロールと彗星)より
それでは、また。
「スナフキン的生活」に憧れる「スナフキンずライフ」でした。