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清州城を全力リサーチ
「清州城」の全力リサーチ(実録)です。
お城好き、信長公好き、石垣好き、歴史好きのあなたにお届けします。
何といっても、織田信長が天下統一に向かう出発点となったお城であり、映画「清須会議」の舞台でもあります。
お城の美しさと、天守閣からの眺望も絶景です。
さらに、清州城の姿は正面から背面からのどちらも、とても美しく高貴です。
アクセス・お城情報
〒452‐0932 愛知県清須市朝日城屋敷1ー1 TEL 052‐409‐7330
車
名二環道路 清州東インターより5分 名古屋高速 清州出口より5分
公共交通機関
名鉄電車 名古屋本線新清洲駅より徒歩15分
JR海道 東海道本線清須駅より徒歩15分
城北線 尾張星の宮駅より徒歩15分
開館時間・休館日・入場料金
休館日 月曜日・年末(29日~31日)
天守閣 9:00~16:30 芸術文化館 9:00~17:00
入場料金:大人 ¥300(団体30名以上¥250)
小人¥150(団体小中学生 ¥100)
駐車場情報
P1お城の裏側の広場数台駐車できます。 P2,P3P3市民広場前。
最も広い駐車場はP4清州公園駐車場です。
休日は、P4がおすすめ。P4に停めて清州公園内の信長像を見てから、お城へ向かうのも一つです。
清州城写真と共にご案内
正面の門(大手門)
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大手門
手前にある橋から見るとお城の姿も見られます。
橋の赤い欄干がお城とマッチしています。
美しい庭園とお城の正面
大手門をくぐると、日本庭園が広がっています。東屋もあり、落ち着いた雰囲気です。
![](https://yumeyumego-jstyle.com/wp-content/uploads/2020/02/P2060887-300x225.jpg)
日本庭園
![](https://yumeyumego-jstyle.com/wp-content/uploads/2020/02/P2060889-1-300x225.jpg)
信長塀
![](https://yumeyumego-jstyle.com/wp-content/uploads/2020/02/0dcea319f8b48fa067823f100cea506d-300x225.jpg)
清州城歴代城主
見上げると、清州城正面の姿がドーンと目に飛び込んできます。
お城の背面
背面から観た清州城も、たいへん美しかったです。裏門を出て少し歩いて広場へおりていただくと背面からの清州城もお楽しみいただけます。
城内へ
美しい庭園や信長塀を見た後に、いよいよ城内へ入ります。
![](https://yumeyumego-jstyle.com/wp-content/uploads/2020/02/P2121776-300x225.jpg)
入場券とパンフレット
1階 清州の歴史コーナー
2階 清州城下バーチャルウォーク&戦国武士の暮らし
3階 火縄銃体験シアター&大河ドラマ戦国史
4階 シャチホコ&出陣の信長像
この4階から外に出られます。
天下一吉例の場所から観た景色
南側からは、名古屋清須市の街並みとともに、遠くは名古屋の中心ビル群や
旧テレビ塔が観られます。
北側は、養老山脈や伊吹山、岐阜金華山の岐阜城も観られました。
信長公も同じ景色を観ていたと考えると、お殿様気分に浸れます。(笑)
織田信長公ゆかりの城はこちらもご覧ください。
清州公園へも行ってきました
大手門を出るとすぐに、赤い欄干の橋「おおて橋」があります。
橋を渡ると、清州公園への案内が見られるので、それに従って清州公園を目指します。
徒歩5分ほどです。
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信長公銅像案内
清州公園
信長公が桶狭間の戦いに出向く時でしょうか、とても迫力のある像です。
織田信長公 ミニミニ年表
尾張(愛知県)の戦国大名、織田信秀の長男として生誕。
元服して三郎信長と名乗る。
濃姫と結婚。
父(信秀)の死により、織田家の頭首に。この頃清州城に移り住む。
桶狭間の戦いで今川義元に勝利。
本拠地を岐阜城に移す。
姉川の戦いで浅井氏・朝倉氏に勝利。
室町幕府を滅ぼし、実質的に天下人となる。
長篠の戦いで武田氏に勝利。
安土城を築城する。
本能寺の変により自害。
人間五十年の歌碑
人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻のごとくなり
一度生を得て 滅せぬもののあるべきか
織田信長公が好んだと伝えられる幸若舞「敦盛」の一節。
桶狭間の出撃直前にこの一節を舞い、立位のまま湯漬けを食べ、甲冑をつけて出陣したと伝えられています。
「人の世は天上界に比べれば幻のようなもの。この世に生まれたもので
滅びないものなどない」との意味。
う~ん、信長公の人生に重なりますね。・・・
石垣の跡
おおて橋を公園に向かって渡った右側に、石垣の跡があります。
清州城石垣の構造についても説明があります。説明板に傷がつけられていたのがちょっと残念。大切にしたいですよね。
まとめ
清州城はいかがでしたでしょうか。
信長公は1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いに勝利しました。
尾張を治めることのみならず、この清州城からいざ、
天下統一と考えていたことでしょう。
ミニ年表によると、清州城で活躍したのは信長が若き日の20代~30代前半であることが分かります。
本能寺の変で最期を迎えるまでの49年間が、敦盛の「人生五十年」の一節と重なりますね。清州城に訪れて、信長公の生きざまにふれてください。
ちなみに、岐阜金華山岐阜城の横にある大河ドラマ館では「麒麟がくる」のイベントを大々的にやっているようです。・・
このブログが、あなたの
清州城を訪れるきっかけになれば幸いです。ここまでご覧いただき、ありがとうございました。
清州城公式サイト kiyosujo.com
スナフキンの名言集より
「いきるってことは、平和なものじゃないんですよ」
By トーベ・ヤンソン
信長公もそんな風に思っていたかも・・・
それでは、また。
「スナフキン的生活」に憧れる、「スナフキンずライフ」