明智光秀公生誕の地 落合砦(土岐明智城・多羅砦)徹底解説します

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お城巡り

目次

土岐明智城(落合砦・多羅砦)

実録紹介

白鷹城(明知城)は多くの人に知られていますが、ごぞんじでしょうか?

う一つの明智城が存在します。

呼び名は、落合砦多羅砦土岐明智城の三つが併記されています。

まさに、知る人ぞ知る城跡、早速訪ねてみました。

(風が強くて、旗の写真を撮るのに一苦労でした。)

というか実は、明知城(白鷹城)は参観に来たのですが、

こちら落合砦(土岐明智城・多羅砦)の存在を知らず、そのまま帰宅。

二日後に車をとばし、再来訪しました。・・行けてよかったです。

千畳敷公園の一部に本丸(落合砦)・出丸(見晴台)が在ります。

千畳敷公園案内図

 

 

 

 

 

はじめは、ここは落合砦なのか、千畳敷公園なのか?・・

よく理解できませんでしたが、案内図を見て千畳敷公園内に

本丸出丸、産湯の井戸があるということが、

分かりました。いわゆる城址公園です。

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アクセス情報

住所 〒509-7700 岐阜県恵那市明智町947-10

TEL 0573-54-2111

無料駐車場有り 駐車場にトイレ有り(冬季はトイレが閉鎖)・・注意

明智駅(大正村)から徒歩15分

車の方要注意・・

公道から、公園への入り口がやや分かりにくいので要注意です。

交番が目印です。写真の交番の標識があったら、

山側の細い道を上ってください。

自分は、2回ほど通り過ぎてしまいました。

・・(´;ω;`)ウッ…お見逃しなく。

明智警部補交番が目印

 

 

 

 

 

明智光秀公生誕の地

諸説あるようですが、光秀公は享禄元年(1528年)

3月10日、ここ落合砦(土岐明知城・多羅砦)で

誕生したと言われています。

岐阜県恵那市明智町は、光秀公に関する史跡や数々の

伝承が残っています。

母である「於牧(おまき)の方」は、悲運の最期を遂げたとして

「於牧(おまき)の方の墓所」が約1キロ離れたところに在ります。

ちょっと、寂しい気がして墓所へは訪れませんでした。

城跡について

出丸からの見晴らしがとてもよかったです。

三河、中馬街道、信州などの動きをいち早く

とらえられることができる場所と考えられています。

さすが、戦国時代の発想ですね。

出丸からの眺め

本丸の全容

大手通り看板

本丸には、大手通り・桝形・虎口・武者走り・客人接待場所などが残っている。

とありましたが・・・

本丸(落合砦)の跡地を探してみましたが、桝形や客人接待場所が

どこにあるのかは、わかりませんでした・・・(笑) <(_ _)>。

本丸にある東屋

東屋からの眺め

 

 

 

 

 

もっとも眺望がよいのが出丸

出丸からの景色は、市街地、明知城(白鷹城)

・中深山砦・団子杉などが眺望できます。

いい眺めでした。眺望の案内図と照らし合わせ、

場所が確認できます。

ここを訪れる数日前に登った、明知城(白鷹城)が

真正面に観えました。・・二日前も観ました・・(笑)

明知城(白鷹城)と明智市街地

 

 

 

 

 

光秀公 産湯の井戸について

このように、光秀公が産湯につかったという井戸が、

現存しているということは、地元明智の皆さんに、

光秀公が尊敬されていたことが分かります。

それゆえ約500年にわたって伝承されてきたのですね。

まとめ

土岐明智城(落合砦・多羅砦)はいかがでしたでしょうか。

周辺には、光秀公にゆかりのある、

「明智光秀公学問所と天神神社」「龍護寺」など

が在ります。特に龍護寺には、光秀公の供養塔もあり、

毎年5月3日(光秀まつり)の日には、今も変わらず、

追善供養が執り行われているようです。

供養塔内の石碑は一般に公開されています。

こちらもあわせて、参観してみてはいかがでしょう。

明智光秀公ゆかりの城は数多く残されています。

よろしければ、こちらもご覧ください。

明智光秀ゆかりの城 明智城跡見どころアクセス

妻木城 明智光秀を支えた妻熙子の出生の地妻木城跡 アクセスから見どころまで

ここまで、お読みくださってありがとうございます

スナフキンの名言集より   By トーベ・ヤンソン

「明日もきのうも遠く離れている」

スナフキンン言葉は、深いですね。

それでは、また。

「スナフキン的生活」に憧れる、「スナフキンずライフ」でした。

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