自由と自然を愛する「スナフキン」と申します。
今回ご紹介するのは、大河ドラマ「麒麟が来る」でも登場した「鷲津砦跡」です。
アクセスから、見どころまで実録紹介します。どうぞ、ご覧ください。
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目次
鷲津砦跡実録紹介
アクセス
公共交通機関利用 JR東海道本線 大高駅より徒歩 5分
車利用 大高駅周辺おすすめのコインパーキング
「三井のリパーク 大高駅前第3」
「タイムズ駐車場 大高駅東」
鷲津砦公園
県道50号線沿いに「鷲津砦公園」と書かれた石碑が現れます。
公園内にある階段を上がり、鷲津山の自然の中、鷲津砦跡の石碑を目指します。
散策路を登り、曲輪跡と思われる広がりがあります。
鷲津砦跡石碑
いよいよ、鷲津砦跡の石碑に到着しました。(入り口から3分ほどで到着します)
公園案内図
案内図
鷲津砦は、永禄2年(1559年)織田信長が大高城の今川勢を牽制するために丸根砦とともに築いた砦であり、大高城と丸根砦との三角形の位置にある。また、今川方に寝返っていた鳴海城と大高城を結ぶ交通路を押さえる位置にあたり、規模は東西25m,南北27mあったと言われている。永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の戦いの緒戦には、飯尾定宗らが立てこもり、今川の重臣朝比奈泰能の軍勢に攻め立てられて全滅したと言われている。昭和13年に鷲津砦跡、丸根砦跡、大高城跡は国の史跡に指定された。
鷲津砦跡案内
鷲津砦は、近くにある丸根砦とともに、敵方の居城である大高城を牽制する役割があった。ことが分かる。
信長攻略
永禄3年5月19日早朝、尾張に侵攻した今川軍は鷲津砦と丸根砦への攻撃が開始された。信長は清州城から出陣したが、すでに二つの両砦は落城していた。
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まとめ
鷲津砦跡はいかがでしたでしょうか。
鷲津砦は、織田信長勢と、今川勢が戦った桶狭間の戦いにおいて
重要な役割を担った砦である。
大高駅から、「大高城址」「丸根砦」「鷲津砦」はいずれも徒歩で行ける範囲に」位置します。
この3カ所をセットにして、訪れてみてはいかがでしょう。
大高城・桶狭間の戦いにおける徳川家康の功績・大高城兵糧入れの逸話
スナフキンの名言集より By トーベ・ヤンソン
「ねえ、もう少し、おだやかに話し合おうよ。ともだちだろ?」
スナフキンが、いいました
「ムーミン、ともかく座って、詳しい事情を聞かせてくれよ」
ムーミントロールと彗星より
下剋上の戦国時代は、ムーミンとスナフキンのように話し合いができる状況ではなかったのでしょうね。
では、また。
自由と自然を愛する「スナフキン」でした。