明智城(長山城)徹底解説
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」では、明智光秀が初めて
主人公として描かれました。TV放映によって
明智光秀公ゆかりの地は、多くの人々が訪れています。
今回は、岐阜県可児市の「明智荘(あけちのしょう)」
にある明智城跡(長山城跡)を訪れ、実録を徹底解説します。
一度訪れてみようと思っている「あなた」にお届けします。
アクセス
〒509‐0213 岐阜県可児市瀬田1238-3
駐車場情報
駐車場「要注意」です
大河ドラマ放映以前は、大手門手前にある「明智城址公園駐車場」が利用できましたが、2020年 1月~利用(駐車)禁止になっています。自分は、ここ城址公園駐車場まで来て、停められないことが分かり花フェスタ記念公園まで、戻りました。(´;ω;`)ウゥゥ
そこで、車は「花フェスタ記念公園駐車場」に停めます。
明智城大手門の入り口まで、15分(徒歩)です。(無料)
※大河「麒麟が来る」終了後は、再び駐車場の利用が可能に
なるかと思います。
花フェスタ記念公園(駐車場)
〒509-0213 岐阜県可児市瀬田1584-1 TEL0574-63-7373
花フェスタ記念公園駐車場を出たら、この二つの看板を目印に歩いてください。
明智荘(あけちのしょう)について
可児市の瀬田地区に入ると、いたるところに「明智荘へようこそ」の看板が見られます。明智荘(あけちのしょう)って何だろう?民宿とか宿泊施設?と思っていました。ところが・・・「明智荘」とは、現在の岐阜県可児市北東部から、岐阜県御嵩町西部にわたる「荘園」のことです。北部には、可児川があり南部は丘陵地が連なっています。
江戸時代には、「明智八郷」と呼ばれていたようです。八郷とは、「淵之上」「顔戸」「古屋敷」「平貝戸」「柿田」「瀬田」「石森」「石井」の八つの郷からなるようです。
現在の可児市「瀬田地区」の一部地域に寺院が集中していることや「東屋敷」「大屋敷」といった地名が残されていることなどからも、当時の有力な武士やその一族がこの地区に居住していたことが伺えます。
明智光秀が生きた時代の「明智荘」に関する資料は見つかっていませんが、江戸時代の地誌「美濃国諸旧記」なるものに、土岐藩士の初代「土岐頼兼」の時代から光秀に至るまでの代々、土岐明智氏が居住していたと記されているようです。
明智氏と明智城
明智光秀公の出生や半生については、様々な説があります。通説としては、土岐氏の流れをくむ「岐阜県可児市の土岐明智氏一族」と言われています。生誕の地は岐阜県恵那市との説と岐阜県可児市の説と二分されます。
後の記録によると、「土岐頼兼」が明智氏を名乗って、康永元年(1342年)に「長山(おさやま)城(明智城)」を築いたとされています。主郭は現在配水池となっています。その他に、東出丸、
弘治2年(1556年)には、明智光秀の叔父にあたる「光安」が城主のころ、稲葉山城(岐阜城)城主「斎藤義龍(道三の嫡男)」から攻撃され、落城の憂き目にあったとされています。
「光安」は自害し果てる前に、「光秀」に家の再興を託したと言われています。落城の時、「光秀」は親類縁者を頼って、西美濃に向かい生き延びたとされています。これが、「明智光秀」の流浪時代の始まりなのでしょう。
明智光秀にかかわる「人物相関図」
出典 明智荘散策マップ
この相関図をみると、明智光秀が武士として生きた時代にかかわる「明智家」「斎藤家」「織田家」のつながりが、何となくですが・・理解できます。
明智城跡(長山城跡)を巡る
それでは、光秀公も昇り降りしたであろう、本丸に向かってスタートします。
「大手口」の入り口から石畳の道を上ると「大手門」が見えてきます。
本丸まで約15分の散策スタートです。
登り道の途中には、切り株のベンチが用意されています。ありがたい・・
中間地点を少し進むと中丸があります。
いよいよ、本丸に到着です。
本丸があったのはこの配水池の当たりだったとの説もあります。
本丸横に七ツ塚があります。
「七ツ塚」は斎藤義龍との攻防戦で落城した折に、命を落とした七武将が祀られています。
本丸にはWC、パンフレットボックスが設置してあります。
本丸の奥には、展望台があります。
明智荘一帯と、遠くは御嶽山を眺望できます。
南側には、馬防柵が張られています。
2009年に再建されたようです。
西出丸に向かうと、搦手曲輪(人があまり見に行かない、マニアックな曲輪跡)があります。
展望台、向かって右側の十兵衛坂を下りて帰路につきます。(やや分かりにくい)
「六親眷属幽魂塔」
帰路で一番の見どころは、西大手曲輪の「六親眷属幽魂塔」です。明智氏落城の後も、住民は斎藤氏ではなく、明智氏を偲んだと言われている。この塔も、土の中に埋められるように建立されていて、斎藤氏に気づかれないように、こっそりと明智氏の慰霊を行っていたことが伺えます。
ここからは、うっそうと茂る竹林の中を進み、明智城巡りの最終を目指します。「六親眷属幽魂塔」の看板のあるところで、終着です。
御城印について
配布・購入の日時が、その月ごとに決められているようです。巡回員さんがおられる時は、お声をかけると購入できます。
城跡北麓の天龍寺(青雲山天龍寺)
北麓にある天龍寺は、明智一族の菩提寺として年に一度「光秀公」の法要が営まれています。本堂には光秀公の命日の6月13日にちなんで、6尺1寸3分(約184㎝)のお位牌と木造の光秀像が祀られています。
花フェスタ記念公園は、バラの花がとても有名です。
春または、秋に「明智城跡巡り」「花フェスタ記念公園」
を巡るのもおススメです。
明智光秀公ゆかりの城は、他にもあります。ぜひこちらもご覧ください。
明智光秀公生誕の地 落合砦(土岐明智城・多羅砦)徹底解説します
妻木城 明智光秀を支えた妻熙子の出生の地妻木城跡 アクセスから見どころまで
まとめ
明智城(長山城)いかがでしたでしょうか。
光秀公生誕の地は、こちらの可児市の明智荘と恵那市の落合砦の二つの説があります。明智荘の城跡は「明智城(長山城)」恵那市の城跡は「明知城(白鷹城)」と呼ばれています。
どちらが本当の生誕地かは、今となっては分かりません。いずれにしても、可児市も恵那市も明智光秀公に所縁があることは、間違いないでしょう。
どちらの城跡も参観しましたが、どちらの地も明智光秀公を明主として尊敬し、語り継がれていることに変わりないと気づかされます。
可児市の「明智城(長山城)」恵那市の「明智城(白鷹城)」「落合砦(土岐明智城)多羅砦」すべて参観してきましたので、ぜひ、他の記事もお読みください。訪れるきかっけとなれば嬉しいです。
ここまで、お読みくださってありがとうございます。
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