スナフキン的生活に憧れる「スナフキン」です。ブログをご覧いただきありがとうございます。
桶狭間の戦いでも、重要な役割を担った城です。
アクセスから、見どころまでどうぞご覧ください。
清州城 織田信長天下統一出発点 天守閣からの眺め周辺情報 徹底解説
目次
大高城の紹介
アクセス
〒459-8001 愛知県名古屋市緑区大高町城山
おすすめなのは、公共交通機関です。 🚈「JR東海道線・大高駅から南西へ徒歩約10分」
城址公園の周辺は道幅が狭いため、自家用車での通行が難しいです。 🚙車で行かれた場合は大高駅周辺のコインパーキング等に駐車して、徒歩がおすすめです。
大高城址公園の案内板
(案内板 本文より 名古屋市教育員会)
「城の成り立ち」
「大高城兵糧入れ」
「桶狭間の戦い後」
(案内板文章より)
大高城兵糧入れをさらに詳しく解説
諸説ある中の一説を要約すると、今川義元から大高城への兵糧入れを命じられた松平元康(徳川家康)は、家臣に大高城周辺の偵察を命じます。報告では「織田方の軍勢が道筋に多く陣取とり、兵糧部隊は必ず追い落とされるでしょう」と進言したが、最後に偵察から戻ってきた家臣だけは「兵糧入れは可能である」と断言しました。決断を決めかねている松平元康に対し、さらに、「織田方の動きを見ると、戦ができるほどの軍勢を整えてはいないように見受けられる。兵糧入れ部隊を、四方(前後左右)から取り囲んで進めば可能であろう」と進言します。松平元康はこれを聞いて兵糧入れを決断した。と考えられています。
実行する上で松平勢の一部が、丸根砦・鷲津砦の織田方を引き付けて戦っている間に、大高城へ兵糧を運びこませたと言われています。
今川方家臣の鵜殿長照は桶狭間の戦い以前から大高城の城代を任ぜられていた。大高城は織田方の最前線に位置していることから、丸根・鷲津両砦の織田軍のために身動きを封じられていた、その情勢下では兵糧が枯渇するという危機的状況にあった。その状況を見た今川義元は、松平元康に兵糧を入れを命じたと考えられます。それだけ大高城は、尾張侵攻の要の城と考えられていたことも伺えます。
見どころ
案内板から本丸跡に上る坂
城址公園の入り口から、本丸に至る上り坂は城郭に見られる、特有な趣きがあります。
本丸跡
木々に囲まれた中に広がる本丸跡、まさに、ここに本丸があったと実感できる空間です。
城山八幡宮
本丸広場の一角に、城山八幡宮が祀られています。
大高城址石碑
ひっそりと佇む、石碑です。
信長攻略の案内板
信長攻略の案内板についてはこちらも参照してください
まとめ
お城好きはこちらもご覧ください。
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大高城址はいかがでしたでしょうか。
大高城は、桶狭間の戦いにおいて、今川方として松平元康(徳川家康)、鵜殿長照が居城し、織田方との戦いにおいて、重要な役割を担った城です。
ぜひ、一度訪れてみてはいかがでしょう。
スナフキンの名言集より By トーベ・ヤンソン
「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるのさ。運んだり、番をしたり・・・ぼくは、どんなものであろうと、見るだけにしている。
立ち去るときには、ぜんぶ、この頭の中に、しまっていくんだ。重いかばんを、うんうん いいながら運ぶより、ずっと快適だからねぇ!」
ムーミントロールと彗星より
スナフキンのように、物が欲しくなったら手に入れることを考えるより、頭の中にしまっていくことができたら、きっと幸せです。
では、また。
スナフキン的生活に憧れる「スナフキン」でした。